狂ったように作るもの

社名としてのASCIIが消えたとのこと.遠藤諭氏が寄稿した記事を,読んだ. ( 「さらばアスキー」社名と小惑星 ~ASCIIはホビーのブランドではない )

私自身は,ベーマガ→Oh!MZ と進んで,月刊ASCIIはたまに立ち読みしたり図書館で読んだりという程度の記憶しかない.

けれど,MinixへのパッチキットでOSS的活動への名乗りを上げ,初台へ遊びにいったこともあったりするし,256倍やらマーフィーの法則やらハッカーズ大辞典やら,今もネタ元にしている書籍がたくさんある. PostScriptやUnixの知識も,ASCII無しには得られなかっただろう. TeXで日本語が使えるようになったのもASCII(だけではないけれど)のおかげだ. 残念というか,寂しいというか,時代の流れを感じるというか,そういう類の何かはある.

とはいえ,関係者ではない薄情な私の興味は,消えゆくものよりも,”この先生きのこるには”ということ.

しかし、いまはそういう膨張期ではない。むしろ、マイコン初期のような誰も手札がないような時代である。“前のめり”なところからしか、新しいものは生まれないし、そうでないと何もかも海の向こうのクラウドに飲み込まれてしまう。その別れ目に、いまの我々はいる。あまりそうは指摘されていないし、学校でも教えていないと思うが、いまの日本は1980年頃以降、狂ったようにマイコンチップに突っ走ったことで成立したものだ。

遠藤氏の言うとおりだと思う. そして,今や,国内のマイコンチップは風前のともし火のように見える. 各社が非なるようでいて似通ったアーキテクチャのマイコンチップを乱発するような状況が,再び興る可能性はほぼゼロだろう. 私はペシミストなので,私が思うよりもずっと底力があるのかもしれないが,

また,前のめりであるべきデジタル世界で,時計を戻して何かが良くなるような気もしない.

今日,または明日,狂ったように突っ走るだけの価値があるものとは,何だろうか.