ハッカーとして名を成すための「運」

本稿の契機(元ネタ)は「未来のいつか/hyoshiokの日記」の「まつもとゆきひろのコピーは作れるのか。」および,その反響 tweet から.

元ネタで示されている「Rubyにみるグローバルソフトウェア開発」というタイトルでの講演は,聴講していない. そのため,今書いているエントリは,元の文脈から逸れている可能性はある. インスパイヤ系ってことで,ひとつよしなに.

いろいろ思うところはあるのだが,一気に書くと発散するので,数回に分けて書く.

今回は,「運(幸運/成功)」について.

「運」とは何か.

プログラミング言語の開発者といえば,用語定義に対しての厳格さで言えば,世界最強の部類にいるであろう. その猛者たちが,「運」とは何かを定義しないで話を進めている.

みたいなところを興味深く思いつつ.

とりあえずオレオレ定義する

さりとて辞書定義を引っ張ってきても,汎用過ぎて収束させづらい. 本稿では,「運がいい」「幸運」を,「至近数十年に影響する成果,またはそれを出す力」くらいに定義しておく. もちろん,そうでない幸運があるということは,私も知っている. しかし,今扱おうとしている狭い文脈では,「幸運」と「成功」「実力」辺りとを同一視しても許されるだろう.

すると,「運」は,「幸運」へ導く(もしくは遠ざける)要素である. 「運」は,1回で「幸運」か否かを決することはおそらく稀で,複数の「運」の積み重ねで決まる.

この辺までは,本稿の文脈でという条件付きなら,大きな異論は出ないだろう.

「運」はコントロール可能か

さて,この辺りから,合意形成への雲行きは怪しくなる. 「運」とはコントロール可能だろうか.

両極端は,”コイントスのようなものでコントロール不能” と “集合知や学習によってコントロール可能”だろう.

もちろん,考え方の中間の考え方も有り得る. “特定の条件では再現確率を上げられるが,時代背景など異なれば再現することは困難”,のような

この辺りは,各自の”生き方”に関わってくる問題であり,また同じ人であっても扱う問題領域により主義主張が変わってくることも多い.

本稿での,私の基本的な立場は,チキンだ. 「コントロール可能か否かも含めて,わからない. ここがコントロールできないものである可能性を踏まえると, 運の最適化はできるかもしれないが,試みは不経済 .以上.」

不経済な最適化は行わない. これは hack のキホンだと思う.

「幸運」はコントロール可能か

「運」については,私個人としては,コントロール可能かどうか判断は投げた. しかし,「幸運」はどうだろうか.

本稿での定義による「運」と「幸運」は金融市場での勝敗と似ている. 私は経済学の素養に乏しいので,例示しておいてナンだが,馬脚を表す前に言及を切り上げたい. …どうやら, 特定の市場に対し,長期に渡って資本を投下し続けられた人が「幸運」を手にする ,らしい.

振り返り,ソフトウェア業界で目立つ人思い起こす. 多作の hacker も皆無ではないが,傾向としては,ごく少数の技術要素に拘り抜いた人への高評価が目立つのではないか.

本稿を書く契機になった Matz 氏は「私は人の役に立ったプログラムは人生で3つくらいしかない」と壇上で公言する. もちろん Ruby は大成功. mruby もたぶん成功するだろう.

Linux の Linus 氏は,git も成功させたが,言い方を変えると絶大な知名度の割に2つしか作品がない.

TOPPERSの高田教授は静的OS一筋.

こどもプログラミングの第一人者となった阿部さんは筋金入りのSmalltalker.

その他,枚挙に暇がない.

「成功するには,成功するまで続けることだ」というのは,しばしば軽口として使われる. しかし,ソフトウェア開発に関しては,これが最強かつ唯一の成功法則なのではないかと,私は思う. とにかく継続する,という行動は,個々人のレベルでも十分にコントロール可能だ

こんな風に過度に単純化すると,成功した方々が何も考えていないように見えて失礼かもしれないが.継続するという行為そのものが,才能であると私は考える.

ちなみに私は,一行パッチを送ったプロジェクトの数なら日本で5%に入れる気がしているが,一途なものがなく,いまやこのアリサマだ. 浮気性は,野垂れ死ぬ.

「幸運」に向かわせて良いか

だから,もし本気で「まつもとゆきひろのコピー」なるものを作りたいのであれば,脇目もふらずに開発を続けさせるべきだろう. もうちょっと穏当に言い直すなら,単一プロダクトの開発を長期継続できる環境を整備すべきだ. 人生を賭して構わないと思うプロダクトを早めに見つけさせる(見つける手伝いをする)ことも大事だ. 「幸運」を手にするまで10年から20年くらいかかるから,若いうちに.

そうすれば,歩留まりはわからないけれど,それなりの量のコピーはできるかもしれない. が,しかし,まあ…. STAP細胞の発見に際して,小保方さんと共同研究を行った若山教授の一言は,受け止めて置く必要はあるだろう.曰く,

「彼女は次元が違い、難しいかもしれない。小保方さんのように世紀の大発見をするには誰もがあり得ないと思うことにチャレンジすることが必要だ。でもそれは、若い研究者が長期間、成果を出せなくなる可能性があり、その後の研究者人生を考えればとても危険なこと。トライするのは並大抵の人ではできない」

不世出を量産しようとすれば,歪は出る. その歪に沈んだ若者(たぶん沈む頃にはオッサンオバサン)をどうするのだろう. セーフティネットの用意もなく,イケイケドンドンで若いのを向かわせるのだとしたら,無責任であろう.

オレは賭けるんだ,という若いのを留めることも,私はしないけれどもね.